2011年10月4日火曜日

天台宗総本山 比叡山延暦寺




「八瀬駅」からケーブルとロープウェイを乗り継いで、標高848mの比叡山の山内にある延暦寺へ向かう。500ヘクタールという広大な境内は、総本堂の根本中堂を中心とする東塔(とうどう)と釈迦堂を中心とする西塔(さいとう)と横川堂を中心とする横川の3つのエリアに大きく分けられるそうで、まずは釈迦如来をご本尊とする釈迦堂を目指し西塔へ。

ご本尊の釈迦如来は、実在する人物で姓名をパーリ語でゴータマ・シッダッタといい、仏教の開祖となり神格化され、永遠に衆生を救済する仏として崇められるようになったそうであります。

釈迦如来のご真言は「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク

釈迦堂の近くに飾られた釈迦伝を伝える絵
釈迦伝 1 太子のご誕生

釈迦伝 2 宮殿の生活
 ご成婚後、太子は平和な生活を送られた。夏・冬・雨期の三つの宮殿がもうけられ、蓮の池には水をたたえ、庭園には青・赤・白と色とりどりの花が咲きほこり、入浴には四人の侍女がお世話をし、身には白檀の香をぬり、新しい絹の衣装をつけ、歌と舞と酒とご馳走の享楽をほしいままにしました。太子はこの栄華の生活の対し「この生活は自分にとってどんな意味を持つのであろうか……」と反省され、沈うつな日を重ねるようになってゆきます。

釈迦伝 3 苦行
世の無常をまのあたりに見た太子は、周囲の人々の言も聞かず出家します。出家修行の旅に出た太子は、真の道が得られぬまま6年間の苦行の生活に入ります。

風雨や雷にもめげず、毎日毎日黙々として善定をおさめます。体はみるみるやせ衰え、手足は枯れた葦のようになります。それでも苦行はすべて解脱への道でないことを悟ります。太子は新たな道を求めるのでした。



釈迦伝 4 降魔

太子の成道が近づきました。魔王はあらゆる手段で成道を邪魔します。薄い羽衣をつけた妖艶な魔女三人を近づけ、媚態の限りを尽し、太子の心を乱そうと企みます。また悪鬼夜叉らがキバを出し、鉾をかざして迫ります。太子は毅然として説法します。たちまち魔女は老婆と化し、悪鬼夜叉は恐れ戦き逃げ去りました。


釈迦伝 5  釈迦の成道


降魔の襲来をしりぞけた太子は、心の平和をとりかえし、平等の思いにひたります。過去の宿世を想い起こして、初めに第一の知恵を悟ります。

次に生死の相を知る第二の知恵を体得します。次に煩悩を滅ぼし尽し解脱して、「成すべきことは終った。再び迷いの生を受けることはない」と悟ります。

この時、大地は歓喜に震え、神々は天華を降らせ、天楽を奏でて賛歓します。こうして太子は、世界の人々の供養を受けるにふさわしい人、正しい悟りを得た人、即ち仏陀となります。時に35歳、12月8日の明けの明星がきらめいていました。尼連禅河のほとりの菩提樹の下で、太子は「正覚を得た人」になられたのです。

今後太子を釈尊と呼びます。釈尊は千余の弟子をつれて王舎城に入り、その郊外に留まっていました。釈尊を修行中から崇拝していたマガダ国の頻婆沙羅王はこの噂を聞き、多くの従者をつれて訪れ、説法を聞きこの地に永く留まって化導されんことを願い、王は城外の閑静な場所竹林園に精舎(寺)を建てて寄進したいと申し出ます。これが仏教の最初の精舎で、教団の発展もこれから軌道にのってゆくことになります。

釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
にない堂
同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっている。正面向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂。右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。

阿弥陀如来のご真言は「オン・アミリタ・テイゼイ・カラウン
普賢菩薩のご真言は「オン・サンマヤ・サトバン


ちょうど法華堂において読経の修行が行われている最中で、お声が外まで漏れ聞こえていました。


阿弥陀如来をご本尊とする阿弥陀堂を目指し東塔へ
何せ広い境内のため移動はバス。

阿弥陀堂

阿弥陀如来のご真言は「オン・アミリタ・テイゼイ・カラウン

大黒堂
本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」と言われ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしているそうであります。

大黒天のご真言は「オン・マカ・キャラヤ・ソワカ
毘沙門天のご真言は「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ
弁財天のご真言は「オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ

根本中道
延暦寺の総本堂の根本中堂のご本尊は薬師如来です。ご本尊の前には、1200年間灯り続けている「不滅の法灯」が安置されています。運が良いと中にいらっしゃるお坊さんが根本中堂についてのお話をしてくださいます。

薬師如来のご真言は「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ


最後に一目見てハッとさせられ、引きつけられたお言葉


真言まとめ

釈迦如来のご真言は「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク
阿弥陀如来のご真言は「オン・アミリタ・テイゼイ・カラウン
普賢菩薩のご真言は「オン・サンマヤ・サトバン
薬師如来のご真言は「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

大黒天のご真言は「オン・マカ・キャラヤ・ソワカ
毘沙門天のご真言は「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ
弁財天のご真言は「オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ

2011年9月30日金曜日

物部氏ゆかりの日本最古の神社:石上神宮(いそのかみじんぐう)


ご祭神:布都御魂神(ふつのみたまのかみ)
布留御魂神(ふるみたまのかみ)
布都斯御魂神(ふつしみたまのかみ)

4世紀の創建といわれ、大神神社と同じ日本最古の神社である石上神宮の境内に入ってすぐ目にするのは、オナガドリにも似た風貌の東天紅鶏(とうてんこう)の木登り風景。運がよければ、この天然記念物に指定されている木登り東天紅鶏(とうてんこう)のなが〜い鳴き声、20秒以上も鳴くことのある長鳴鳥ということもあり、本当に長い鳴き声が聴けます。ちなみに鳴き声は「ソプラノ」で「追分節の哀愁」があるとされているそうです。


気分がノッてきたら、ソプラノの美声を惜しげもなく披露してくれる。



黒いとさかがお茶目な同じく天然記念物の烏骨鶏(うこっけい)のお二人さん。
とても自由に歩き回っておられます。


木登り東天紅鶏の近くには、存在感たっぷりの牛さんがどで〜んと横たわっています。
目ぢからの強い、なんとも不可思議でパワーを秘めた牛の像です。お首元には紙垂(しで)のついたしめ縄が巻いてあります。神聖な存在であることがわかります。



楼門



楼門の先にある拝殿。この拝殿の奥に見えないけれど
布都御魂神(ふつのみたまのかみ)が祀られているご本殿が控えているらしい。
禁足地のため我々一般の参拝者は立ち入ることができません。

ちなみに「古事記」では、フツヌシ命は、タケミカヅチ命と共に
霊剣フツノミタマの神霊であるとされいるそうです。
なんでもこの霊剣フツノミタマは、スサノオ尊が出雲の簸川(ひのかわ)の辺りで
八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに振るった宝剣の十握剣(とつかのつるぎ)なんだとか。そのことからこの剣には邪霊を防ぐ強い霊力があるとされ、
そうした邪霊を祓う機能にもとづく信仰から、フツノミタマ命が破邪の神ともいわれ、
憑きものの祓いなどに霊験ありとされるようになったんだとか。

圧倒的な神気が漂う強力なパワースポットだそうで、行くだけで邪霊も祓っていただけるそうなんだけど、平々凡々のわたしはなぜだろう、あまりそのエネルギーとやらがわからなかった……。期待が過ぎたのだろうか。く、くやしいのでまた行ってみよう。

我が国最古の神社、大神神社(おおみわじんじゃ)


ご祭神:大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配 祀:大己貴神(おおむなちのかみ)
    少彦名神(すくなひことのかみ)

国道沿いには日本一大きな鳥居と言われる巨大な鳥居がどでーんと空に向かってそびえています。その背後には大神神社のご神体である三輪山がそびえています。写真はないけど。

大神神社といえば、神門や拝殿はあっても神々の鎮座する神殿はありません。遠い昔、巨岩や崖や山に神々の霊魂が棲んでいると信じていた私たちの祖先はそれらを崇拝していたそうですが、その原初の祀り方が今も尚受け継がれているのが、大神神社です。ご神体である三輪山を拝するという形のため、拝殿はあってもご本殿はありません。


二の鳥居


手水舎の背後には「しるしの杉」があります。
境内に生い茂る杉は、神霊の宿る神樹、
神霊の天降りる霊木として崇拝されているそうです。




こちらの立派な拝殿から、実際に見えませんが拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して、
その背後にそびえる三輪山を拝します。
この場所は、なんだか圧倒されるような気配に満ち満ちておりました。
 ちなみにわたしはパワースポットに行ってるからといって
チリチリとした電気的なエネルギーや気を感じられるタイプでないので
その場に立って「こう感じたなぁ」という私なりの感じた気配を
お伝えしているまでです。あしからず。



三輪山を背後に控えた拝殿の周囲には明らかに異質の空気が漂っていました。
目には見えないけれど、なにからしら伝わる異質の密度の濃い空気というか
エネルギーのようなものが伝わるような気がしました。
凡人のわたしにも伝わるくらいのエネルギーが流れている
こちらの大神神社は、よほど強力なパワースポットなんでしょうね。